日本駐車場開発株式会社

プレッシャーを感じるほどの裁量権と責任が、自分を成長させていく。

日本駐車場開発株式会社
取締役営業本部長 岡本 圭司 「自分で道を切り開けるビジネスマンになりたい」とベンチャー企業に絞った就職活動で日本駐車場開発に出会い、2003年に入社。常に若手社員の先頭に立って新しい取り組みを推進し、2016年に近畿本部長、2018年に取締役東日本本部長を経て、2021年に取締役営業本部長に就任。駐車場事業の更なる成長を幹部として引っ張っている。

動けば動いただけ結果が出る。
大変さとやりがいは表裏一体。

NPDの会社説明会に足を運んだのは、たまたまスケジュールが空いていたから。NPDは新卒採用を始めてまだ1年目でしたが、不稼働な駐車場区画をサブリースするというビジネスモデルと経営陣に惹かれ、エントリーしました。その時はまだ、複数受けているうちの1社という意識でしたが、内定の連絡をいただいた日の夜に現副社長の川村から電話がかかってきたんです。「他にどこを受けているのか」、「是非うちに来て欲しい」と、1時間半にも及ぶ電話でした。その時思ったんです。「こんなにも自分に時間を使ってくれる会社の役員と出会うことはもうないだろうな」。その場で入社を決め、スパッと就活をやめました。入社当日の2003年4月1日、配属されたのはその日オープンの青山ベルコモンズ(当時)の駐車場。近隣の駐車場から集結した優秀なアルバイトが揃う中、何も知らないのは新入社員の自分だけ。もちろん焦りましたが、駐車場で事故やトラブルが起きた場合にどうすればいいのか、売上を上げるために何をすればいいのか、わからないことは全てエリアの担当者にアドバイスをもらいながら、自ら考え、精力的に動きました。当時は新規にオープンする駐車場の数が右肩上がりのスーパー全盛期。1年目の終わりには4つの駐車場を担当し、アルバイトに指示を出しながら、並行していくつかの新たな物件の開業準備を進めている状態でした。大変さもありましたが、自分が動けば動いただけ数字が上がり、状況が改善するので、やりがいも大きかったです。また、入社の3ヶ月前にJASDAQに上場、2004年に東京証券取引所市場2部上場、2005年には同市場第1部上場。会社のステージが上がる過程を現場で緊張感とともに経験することができました。会社の成長もそうですが、仲間と一緒に働くことがとても楽しくて、今振り返っても、当時の私のチームはものすごく勢いがあったなと感じています。

お客様の悩みのソリューションが
新たなサービスの誕生につながる。

いまは国内の営業のトップという立場にいますが、これまで一貫して取り組んできたのは、お客様の悩み事の解決です。例えば、青山ベルコモンズは女性向けの商業施設で、左ハンドルの高級外車の利用が多いエリアにも関わらず、駐車場のハードは右側のドアからしか降りられない構造のため、スカートを履いた女性がシフトレバーをまたいで車から降りていました。そこで、お客様に入庫口手前で車から降りていただきスタッフが入庫する、バレーサービスを導入しました。ここから、駐車場のサブリース事業に付随したオペレーションサービスから、「バレーパーキングサービス」というソリューションが生まれ、今ではラグジュアリーホテル、大手百貨店などからバレーサービス単独での依頼も頂いています。また、弊社で駐車場を管理している新丸の内ビルディングに空きテナントが発生した時に「NPDさんだったら何をやりますか?」とビルオーナー様よりお声をかけてもらいました。私たちはビルの付加価値向上と丸の内・大手町エリアの就業者の満足度向上のために、皇居ランナー向けのランニングステーション「MARUNOUCHI Bike&Run」を提案し、採用いただきました。その後、同ビル9階でもビジネスパーソンの健康を推進する施設として「丸の内ヘルスケアラウンジ」が生まれ、当社のヘルスケア事業進出の第一歩となりました。こんな風に、駐車場をはじめとしたビルのオーナー様が抱えている不動産の悩みを解決するためのソリューションが、新規事業や新会社につながっていくんです。言い換えれば、これまで立ち上げてきた全ての新規事業に立ち上がった理由があり、ストーリーがあるんです。NPDの現場主義、そして若手を抜擢する社風は、私が入社した2003年から今も変わっていません。1年目から裁量権と責任を与えられるのでプレッシャーを感じる人もいるかもしれませんが、それを自分を成長させるための推進力にできる人は、間違いなくビジネスマンとしての力を身につけられるでしょう。30歳までに経営層を目指したい人にとって、チャンスが広がっています。経営層を目指すみなさんと最終面接でお話しできることを楽しみにしています。


※掲載情報は取材当時のものです。